株式会社Melody Works代表取締役。
幼少期に出会ったビートルズに衝撃を受け、音楽の道を志す。大学在学中、21歳でメジャーデビュー。
その後、バンド解散やアルバイトに追われる「暗黒時代」を経験するも、ゲーム会社での勤務を経て「職業作家」としてのキャリアを確立。大ヒット作『テイルズ オブ』シリーズの立ち上げに携わるなど、厳しい制約の中で磨かれた“当てにいく”楽曲制作力を武器に、数々のコンペを勝ち抜き、これまでに1000曲以上を世に送り出してきた。
現在は、AIなどの最新技術も柔軟に取り入れながら、誰もが自分の人生を音楽にできるプロジェクト「人生の主題歌」を始動。さらに、新ユニット「Askym」を結成し、年齢の壁を越えて世界を目指す挑戦を続けている。
「100年後もココロに響く音楽」をテーマに、数々のゲーム音楽やアーティストへの楽曲提供を手がけてきた作曲家・田村信二さん。
現在は株式会社Melody Worksの代表取締役を務め、音楽にまつわる幅広い活動を展開しながら、第一線でメロディを紡ぎ続けています。
全3回にわたるインタビューの第1回では、田村さんが音楽の道に進んだ原点から、バンドデビューと挫折、そして「職業作家」としてのキャリアを築き上げるまでの道のりを紐解いていきます。
幼少期に出会ったクラシックギターから始まり、制約のあるゲーム音楽制作で培われた「求められる音楽を作る」才能。
数々のコンペを勝ち抜いてきた田村さんの、音楽に対する深い愛情と、メロディ作りへの並々ならぬこだわりが、どのように形成されていったのか。
その軌跡は、これからクリエイティブな世界を目指す多くの人にとって、大きなヒントとなるはずです。
クラシックギターとの出会い、そしてロックの自由さへ

田村さんの現在の活動は多岐にわたります。作曲家としての顔はもちろん、ギタリストとしての活動、アイドルのプロデュース、さらには株式会社Melody Worksの代表として、ユニット活動やイベント、レッスンなど、音楽に関わるあらゆる事業を手がけています。
しかし、そのキャリアの始まりは「職業作家」ではなく、ギターを愛する一人の少年としての原点がありました。
田村さんの音楽との出会いは、小学4年生の時に習い始めたクラシックギターでした。
高校3年生まで熱中し、一時はスペインへの留学を真剣に考えるほどだったそうです。
しかし、クラシック特有の「譜面通りに間違えずに弾く」というプレッシャーや、兄の影響で聴き始めたロックの自由さに惹かれ、次第にエレキギターの魅力にのめり込んでいきました。
クラシックで培った確かな基礎技術と、ロックの自由な表現力。
この二つの要素が融合することで、後の田村さんの音楽性の土台が作られていったのです。
ギターへの深い愛情は、現在に至るまで彼の活動の根幹を支え続けています。
上京して気づいた「上には上がいる」という現実
関西学院大学在学中、21歳という若さでビクターからバンドでメジャーデビューを果たした田村さんは、勢いそのままに上京します。
しかし、東京という大舞台の現実は甘くありませんでした。
バンドはすぐに解散。さらに、東京で出会った凄腕のギタリストたちを前に、田村さんはある大きな決断を下します。
「僕は小さい頃からギターをずっとやっていて、関西では結構有名だったし、自信があったんです。でも東京に出てくると、すごいギター青年がいっぱいいて。『これには勝てないな』と思いました」
ギターの腕前には限界を感じた一方で、巷で流れるヒット曲を聴き、「作曲なら自分にもこれくらいできる」という確かな自信がありました。
極端に言えば鼻歌からでも始められる作曲。
メロディを考えることが何より好きだった田村さんは、「上には上がいる」ギタープレイヤーとしての道から、メロディメーカーとしての作曲へと軸足を移していくことになります。
この挫折と方向転換が、後の職業作家としてのキャリアを開く第一歩となりました。
ゲーム音楽の制作現場で学んだ「制約の中で作る」面白さ

バンド解散後、しばらくはアルバイトに明け暮れる「暗黒時代」を過ごした田村さん。
30歳を目前にし、「またデビューできなかったら就職しよう。あわよくば音楽関係がいいな」という思いでゲーム会社の面接を受けます。
「歌も作れるんですね」と評価され、見事採用。
実はゲームもアニメも全く見ないタイプだったそうですが、ここでの経験が彼の作曲家としての才能を大きく開花させることになります。
ゲームの様々なシーンに合わせていく楽曲制作の日々。
大ヒット作「テイルズ オブ」シリーズの立ち上げにも携わりました。
当時のゲーム音楽制作は、現在とは比べ物にならないほど厳しい制約がありました。
「当時はゲームの容量が限られていて、音楽に使える音数が3つか5つくらいしかなかったんです。でも、ある意味で制約がある中で作る音楽っていうのは結構魅力的なんですよ。何もない状態から作るよりも、『5音色で作る』『こういう絵に合う曲』というお題がある方が、その後の職業作家として『当てていく』という意味ですごく勉強になったと思います」
この厳しい制約の中での試行錯誤が、クライアントの要望に的確に応える「職業作家」としての基礎を強固なものにしていったのです。
「職業作家」としての喜びと、コンペを勝ち抜く日々

ゲーム会社でサラリーマンとして曲を作りながらも、田村さんの心の底には「歌ものを作りたい」という強い思いがありました。実は会社に内緒で、自宅でこっそりと歌もののコンペに参加し続けていたのです。
「もともとバンドも歌ものだったので、そっちがやりたいことのメインでした。やっぱり歌ものが好きなんだなって、自分でも思いましたね」
コンペは「使われないのが前提」と言われるほど厳しい世界です。
しかし、田村さんは当時あったすべてのコンペに参加し、数え切れないほどのボツを経験しながらも、確かな実績を積み上げていきました。現在JASRACに登録されている何百曲という彼の楽曲のほとんどは、そうした過酷なコンペを勝ち抜いて世に出たものばかりです。
クライアントの要望にピタリと「当てていき」、「思ってたのと一緒!」と喜ばれる瞬間が何より嬉しいと語る田村さん。
自分が主人公になるのではなく、作品やアーティストを引き立たせるための音楽を作る。その職人としての矜持が、彼を第一線の作曲家へと押し上げていきました。
人の琴線に触れるメロディを作るというミッション

ゲーム音楽であれ歌ものであれ、田村さんの根底にあるのは「人間の琴線に触れるメロディを作る」というシンプルな哲学です。
ジャンルや制作プロセスが変わっても、その軸がブレることはありません。
「結局、どんなジャンルでもあまり変わらないんです。プロセスはどうであれ、最終的に良い音楽で心に響けばいいと思っています。人を感動させる、何かしら響くメロディを作るのが、僕のミッションだと思っています」
制約の中で磨かれた技術と、メロディへの尽きせぬ探求心。
そして何より「音楽が好き」という純粋な思い。それらが複雑に絡み合い、田村信二という唯一無二の作曲家を形作っています。
「100年後もココロに響く音楽」を目指し、日々メロディを紡ぎ続ける田村さん。
その原点には、クラシックギターに熱中した少年の頃の情熱と、数々の挫折を乗り越えて培われた、確かな職人としての誇りがありました。
次回予告
第1回では、田村さんが「職業作家」としての土台を築き上げるまでのストーリーをお届けしました。
ギターの挫折から作曲へのシフト、そして制約のあるゲーム音楽制作で培われた「当てていく」スキル。
それらすべてが、現在の田村さんの音楽の源流となっています。
続く第2回では、激変する現代の音楽業界において、どのように生き残っていくのかという「生存戦略」に迫ります。
AI技術の台頭に対する柔軟な考え方や、誰もが主人公になれる新プロジェクト「人生の主題歌」についてなど、これからの時代を生き抜くヒントが満載です。どうぞお楽しみに!









