2回にわたり、江戸時代から続く老舗染物店の14代目、松田一晟さんの「使命」と「修行」の道のりを見てきました。特に修行編では、松田さんが「10年で一人前」と言われる厳しい世界で直面した苦悩と、それを乗り越えた父の一言が、彼のキャリアを支える揺るがぬ土台となったことを確認しました。
本記事の核となるのは、その修行の過程で確立された松田さんの「思考法」です。キャリアの壁にぶつかったとき、私たちは往々にして「できないこと」「足りないこと」にばかり目を向けがちです。しかし、松田さんはその真逆の思考で、伝統工芸という厳しい現実と向き合い、未来を切り拓こうとしています。
今回は、松田さんの根幹をなす「成長へフォーカスする哲学」を深掘りし、その思考が伝統の未来にどのような希望をもたらすのかを考察します。
第1回:「使命と誇り」323年続く老舗染物店の14代目が伝統工芸を継いだ理由
第2回:323年続く伝統工芸の修行で直面した「できない壁」
松田さんの根幹をなす「成長へフォーカスする思考」

松田さんが修行の苦悩を乗り越え、日々の成長を実感できるようになった鍵は、意識的に「できないこと」ではなく「できたこと」に目を向けるようにしたことです。
この思考法は、友人の誘いで入ったとある団体でさらに学びを深め、明確な「習慣」へと昇華されました。以前の松田さんは、ただ起きて、ただ仕事をするという生活を送っていましたが、目標設定や日々の成長にフォーカスする大切さを学んで以来、考え方や習慣が大きく変わったと言います。
「修行の世界では、ベテランの父や祖父の技術と比べると、自分の技量はまだまだです。もし、あの人に比べて自分はできない、というところにフォーカスしていたら、心が折れてしまう。そうではなく、「昨日、できなかったことが、今日は少しでも前に進んだ」という点に目を向ける。このシンプルな考え方が、苦しい時期を乗り越える上での唯一の光でした」
これは、私たち読者のキャリアにも置き換えられる教訓です。転職やキャリアチェンジを考えるとき、理想とする「誰か」と比べて「自分の足りない部分」ばかりを探すのではなく、「昨日までの自分」と比べて「できるようになったこと」を正しく評価する。松田さんのこの思考法は、自己肯定感を高め、挑戦し続けるための向上心と心の安定を両立させる、今からでも誰でもできる方法と言えるでしょう。
父から受け継いだ向上心と成長の習慣

松田さんの「成長へフォーカスする思考」の土台は、幼少期から父の教育によって築かれていました。
前回の記事で触れたように、松田さんの父親は、「良いところはいい」と明確に褒め、正しく評価する姿勢を持っていました。その教えに加え、松田さんが今も大切にしているのが、父から受け継いだ「満足したらそこで止まる」という言葉です。
「父は常に、今の技術に満足してしまったら、そこで成長は終わる。と言っていました。だからこそ、日々の練習で、もっと良いものを作成できるようになる、という向上心を常に持ち続けています」
この「成長へのフォーカス」と「決して満足しないという向上心」の組み合わせこそが、伝統工芸の世界で323年もの歴史を繋いできた老舗の哲学であり、松田さんのブレない軸となっています。松田さんは、技術の習得に終わりはなく、「より良いものを求める姿勢」こそが、伝統を未来へ進化させる原動力だと考えています。この向上心こそが、単なる「伝統の守り手」ではなく、「未来を創り上げる」松田さんの姿を形作っています。
松田さんが立ち向かう伝統工芸の厳しい現実

現在、松田さんが試されているのは、伝統工芸が直面する厳しい現実です。後継者不足、需要の減少、そして何よりも価格設定の難しさという課題が立ちはだかっています。
筒描き染めは、手間がかかる手作業であるため、一日に染められる枚数が限られています。ありがたいことに注文は入るものの、昔から代々続いているお客様の手前、原材料費が高騰しても価格を上げにくいというジレンマがありました。
松田さんは、この現実に立ち向かうため、「ないもの」ではなく「あるもの」を最大限に活かす戦略を練っています。
「伝統工芸は、稼げない、需要が減っている。と思われがちですが、それは思考停止の状態だと思います。私たちには、機械には真似できない、323年続いた唯一無二の技術という武器がある。この武器をどう使うかを考えることが重要なんです」
松田さんは、単価の高い富裕層をターゲットにした商品展開や、染物をアート作品として昇華させる道を模索しています。現状維持ではなく、未来を見据えた攻めの戦略こそが、伝統を存続させる鍵だと信じているのです。そして、「こういうことを考えていくと、ワクワクする」と語る松田さんの言葉からは、仕事に対する純粋な喜びと未来への強い期待が感じられました。
原動力は、人生のパートナーと生まれたばかりの命

松田さんが伝統工芸の厳しい現実に立ち向かい、常に前向きな姿勢でいられる原動力には、とある愛する存在があります。
松田さんの人生のパートナーである奥様は高校の同級生で、看護師として人を助ける仕事に就いています。彼女は、家業にも深い理解を示し、松田さんの活動を力強く応援してくれています。そして何より、今年9月には第一子となるお子様が誕生しました。
「妻は、自分の大切な人を大切にしてくれるんです。だから、この家の伝統も大切にしてくれる。これからの人生を一緒に生きていける人だと確信しています」
松田さんが目指すのは、単に伝統を守るだけでなく、「あるもの」を大切にし、それを磨き上げ、誇りを持って次の世代に引き継げるビジネスとして成立させることです。「ないもの(需要の減少)」ではなく、「あるもの(技術、歴史、伝統)」に目を向け、成長し続ける哲学こそが、松田さんのキャリア、そして伝統工芸の未来を切り拓く光となっていくでしょう。
「ないもの」ではなく「あるもの」を大切にする哲学

松田さんの人生哲学は、一貫して「ないもの」ではなく「あるもの」を大切にするというシンプルな原則に基づいています。
キャリアに迷い、自分の進むべき道が分からなくなったとき、松田さんの「できたところにフォーカスする」という思考法は、私たち一人ひとりの自己肯定感を高め、目の前の仕事に再び情熱を注ぐための確かな教訓となるでしょう。
あなたの中にも、きっと他の誰も持っていない何かが「あるはず」。松田さんから学んだ哲学を胸に、あなた自身にも、ぜひ目を向けてみてください。









