Askym(アスキム)- シンガーソングライターシンガーソングライター、ボーカリスト
山口県出身。幼少期から培った音感を武器に、上京後、「仮歌の女王」としてスタジオシンガーのキャリアを確立。野田順子氏、Tina氏、立川由美子氏(立川談志師匠の娘)など、著名なアーティストへの楽曲提供(作詞・作曲)実績を持つ。過去には「Asuka.M」名義で活動し、メジャーリーグでの国家斉唱なども経験。その後、海外での経験を経て起業に挑戦するも、借金500万円と体調不良という人生のどん底を経験する。その逆境を乗り越え、現在はユニット「Askym」のボーカリストとして活動を再開。自身の経験を歌に込め、音楽で世界を目指すという壮大な夢を追い続けている。
キャリアの岐路に立ち、将来への不安や迷いを抱える読者は少なくありません。本記事でご紹介するシンガーソングライターの新地アスカさんの物語は、まさにそうした状況にある方々へ、「自らの人生を生きる」ための方法と、困難を乗り越えるための確かなきっかけとなるでしょう!
現在、アスカさんはユニット「Askym」のボーカルとして、世界を見据えた音楽活動を展開しています。(※ユニット名、アーティスト名ともに「Askym」。過去の活動では「Asuka.M」名義を使用)。しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。過去には、仲間の裏切りや、借金500万円という苦境に加え、原因不明の体調不良という心身の限界を経験しています。
このストーリーの核心は、彼女がどのようにしてその壮絶な「どん底」から立ち上がり、再び「天職」である音楽の道へと回帰したかという道にあります。アスカさんの人生物語は、単なるシンガーの物語ではなく、挫折を成長の糧に変えるための普遍的な法則を教えてくれるでしょう。
ここからは、彼女の原点から現在に至るまでの道のりを、具体的なエピソードを交えて深く掘り下げていきます。
どん底からの再起、「Askym」として世界を目指す

アスカさんは現在、メンバーである田村信二さんと共に音楽ユニット「Askym」として活動しています。その活動は、単なる趣味の範疇ではなく、プロとしての再スタートです!
今年の6月には、ライブ出演をきっかけに芸能事務所から声がかかり、仮契約を結ぶに至りました。現在は、月1回のライブ活動に加え、その日の飛び入り参加が可能な「オープンマイク」にも積極的に参加し、オリジナリティ溢れるスタイルで自身の歌声を届けることに注力しています。
また、活動のグローバル展開を見据え、これまで苦手としてきたSNS戦略にも挑戦中です!
SNSを活用した動画コンテンツの制作は、彼女の「Askym」としての活動を世界に広げるための重要な一歩と位置づけています。彼女の現在の姿は、過去の困難を乗り越え、新たな目標に向かって進み続ける「諦めない心」の重要さの象徴と言えるでしょうね。
目指すは「あのスター選手」! アスカが語る壮大な夢とは
アスカさんが語る夢は、とても壮大で明確です。ユニット「Askym」としてのワールドツアーの実現、そして、野球界のスター選手である大谷翔平選手のホームラン曲を手掛けることなんです!
彼女の音楽活動の根底には、「自分がいなくなっても、声と歌は残り続ける」という揺るぎない信念があります。物質的なものは失われても、音楽は人々の記憶と心に刻まれ続けるという考えは、彼女のキャリアを支える哲学といえるでしょう。
さらに、彼女のこの活動は、自身の成功だけを目指すものではありません。なぜ世界を目指すのか?それは、ユニットメンバーである田村さんへの感謝を原動力とし、「音楽を通じて彼を世界へ連れていく」という目標のためです。この「誰かのために」という精神に基づく夢は、多くの人々の心にきっと響く筈です。
「音への執着」鍵盤も楽譜も見えない部屋で過ごした天才少女の原点

編集部がアスカさんに取材をすると、その幼少期にまさに天才少女と呼ぶべきエピソードがあることがわかりました。幼い頃、彼女はエレクトーンを習う姉の練習を、部屋の外から聴くことしかできませんでした。楽譜も、鍵盤も見えません。しかし、この制約が、彼女の非凡な能力を開花させます。
彼女は、何も見えない部屋で、聞こえてくる音だけを頼りに、エレクトーンを弾けるようになると決めました。その中で、音階を判別する訓練を無意識のうちに行い、相対音感を身につけたのです。
「今鳴ってる音を探すみたいな。音だけを頼りに弾けるようになろうとしてました。音に執着してたんだと思います」
このエピソードは、彼女にとって「音」が、単なる情報ではなく、世界を広げるための重要な手段であったことが伺えます。また、近所のグランドピアノがある家にはよくお邪魔していたようで、庭に大きな木が生えている美しい家で過ごす時間に喜びを感じていたという事実は、彼女の「音」と「美」への執着とも呼ぶべき才能を感じさせられます。
人生を変えた「お散歩クラブ」、悔しさをエネルギーに
そんなアスカさんですが、中学時代には陸上部に入部します。当初は「お散歩クラブ」と呼ばれ、体が弱かったアスカさんにとっては穏やかに運動に触れ合える機会かと思ったのですが、後に赴任したコーチの指導により、部活は一変します。
そのコーチが来た学校は県で一番になる、そんなコーチの元での活動は厳しいものでした。そんな環境下で、彼女は「悔しさ」を成長のエネルギーに変えるという、キャリアにおける重要な教訓を体得しました。特に、後輩をかばい、コーチから罵倒された際のエピソードは、彼女の精神的な強さを象徴していますね。
「罵倒されたことが悔しくて。でもそれはやっぱり自分に力がなかったから…罵倒されるってことは、力がないから罵倒される。悔しくて悔しくて、その次の日からもう筋肉痛になりながらめっちゃ頑張ったら、半年後、自分がすごい伸びてました」
この経験は、アスカさんの人生観の核を形成したといえるでしょう。それは、才能や環境に依存するのではなく、自らの意志と努力で困難を乗り越え、結果を出すことの重要性です。陸上部での経験は、彼女の喘息の改善にも繋がり、心身両面で彼女を強くしました。
「仮歌の女王」爆誕!大手レコード会社からの依頼が絶えない

高校に入学したアスカさんの元に、ひょんなことからバンドのボーカルのお誘いが来ます。その歌声は地域でも評判で、隣の隣の町から、高校生時代のそのバンドにオファーがくるなど、アスカさんの活躍の片鱗が垣間見えますね。
その後、バンド活動を経て音楽の道を決意し、20歳で上京したアスカさんは、22歳で作曲家のデモテープ用の仮歌を担当します。(この頃の活動名義は「Asuka.M」)。その仮歌が話題となり、「スタジオシンガー」という仕事に出会います。この仕事は、彼女にとってまさに「天職」でした。彼女の歌声は業界内で高い評価を受け、大手レコード会社からも直接指名で仕事が舞い込むようになります。その成功の要因は、単なる歌唱力に留まりません。
「私はその場で、コーラスとかもその場ですぐ考えることができて。一緒に作っていくっていうことが楽しくて楽しくて、いつでもどこでも呼ばれれば飛んでいきましたね」
アスカさんは、指示された通りに歌うだけでなく、その場でコーラスアレンジを提案するなど、クリエイティブなパートナーとして制作に貢献しました。さらに、夜間の急な依頼にもフットワーク軽く対応するプロ意識の高さが、彼女を「仮歌の女王」と呼ばれる存在へと押し上げました。この姿勢は、どのような職種においても求められる、普遍的な学びを示しています。
【次回予告】
「仮歌の女王」として、まさに「天職」を見つけたアスカさん。しかし、彼女のキャリアはここで終わりません。次回は、日本の音楽業界から世界へ。彼女がどのようにして世界への切符を掴んだのか、その知られざるエピソードに迫ります。
そしてその先に待ち受ける、仲間の裏切りと借金500万円という「人生のどん底」とは一体何だったのか?次回、シンガーソングライター・アスカさんが、海外で活躍していったその裏側に迫ります。


