「お前は歯医者になれ」親の一言でスタートとしたキャリア

自分で選んだつもりがない仕事、気づけば乗せられていたレールの上。そこに違和感を抱きつつも、日々の忙しさの中で立ち止まることもできない——そんな感覚に覚えがある方もいるのではないでしょうか。

本記事でご紹介する歯科医師・梅木泰親さんのキャリアは、まさに「自分の意思ではない状態」からスタートしました。幼い頃に親から告げられた「お前は歯医者になれ」という一言をきっかけに、職業としての“歯医者”の道へ。強い憧れや使命感があったわけではないまま、歯科大学へ進学し、研修医を経て、現在は川崎市の歯科クリニックで分院長として日々患者さんと向き合っています。

しかし、その道のりは「なんとなく選んだ仕事」だけでは片づけられない葛藤に満ちていました。大学院時代の極貧生活、慣れない救命救急での勤務、終わりの見えない学びへの不安、自分には「できない」と思い込んできた長年の自己否定。そうした積み重ねの中で、梅木さんは少しずつ「与えられたキャリア」を「自分の意思で歩むキャリア」へと変えていきます。

自分で選んだわけではない仕事に、どうやって納得感と誇りを見出していくのか。歯医者という枠を超えて「食」と「健康」から人の人生に関わろうとするに至る道のりを、具体的なエピソードとともに紐解いていきます。

目次

幼少期から芽生えていた「医療者気質」

梅木さんは、幼い頃から「困っている人を見ると放っておけない」子どもでした。岡山・倉敷の山あいで育ち、池や川におもちゃを落とした子がいれば代わりに拾いにいく。トゲのある茂みでも自分が傷つくことを気にせず取りにいこうとする。あるときはドブに落ちた物を拾おうとして足を大きく切り、縫うほどの怪我を負ったこともあります。

本人に強い自覚はなかったものの、「誰かのために動いてしまう性分」は、この頃からすでに形づくられていたのかもしれません。

転勤族として各地を転々としながら成長し、高校3年生の進路選択の時期。将来の夢がはっきりしないまま過ごしていた梅木さんに、父親は突然こう告げます。「お前は歯医者になれ」。

理由は特に語られませんでした。なぜ歯医者なのかも、自分に向いているのかどうかもわからない。ただ、医師である親の言葉に逆らうという発想すらなく、そのまま歯科大学へと進学。こうして梅木さんの「自分の意思ではなかった歯医者人生」は、静かに始まっていったのです。

歯科大学時代|初めて人の歯を削った日

親の一言をきっかけに進学した歯科大学。明確な志があったわけではなく、梅木さん自身も「歯医者という仕事がどんなものか、正直よくわかっていなかった」と当時を振り返ります。大学では軽音部に入り、勉強も遊びも全力。歯科医になるという実感よりも、まだ“学生”としての日常が中心でした。

転機が訪れたのは、5年生から始まった実習です。模型ではなく、初めて実際の人の歯を削る日。ドリルを握った瞬間、これまでとはまったく違う緊張感に包まれたといいます。

「初めて人の歯を削るときは、めちゃくちゃ緊張しました。模型で練習するのと全然違った気持ちでした。」

このとき初めて「歯医者」という職業の重みと責任を、現実の感触として突きつけられることに。しかしこの段階でもまだ、「自分はこの仕事を一生やっていくのだ」という強い覚悟が固まっていたわけではありませんでした。流れのままに、歯科医としてのキャリアがスタートした時期だったのです。

大学病院という“エリートルート”の違和感

その後、6年生の歯科大学を卒業して歯科医師免許を取得。開業するための条件でもある研修医としての1年間の勤務(臨床研修)を終え、正式に歯科医として働く資格を得ると、梅木さんはそのまま同じ大学病院の口腔外科の道へ進みます。

一般的には、大学病院での勤務は“エリートコース”とも言われる進路です。最先端の医療に触れ、専門性を高めていく。外から見ると、順調なキャリアに見えていました。

しかし、梅木さんの中には次第に違和感が募っていきます。大学病院に残り続けるためには、いずれ「論文」を書き、研究者としての実績を積み、最終的には教授を目指す道が待っています。ところが梅木さんは、その先に自分の姿をどうしても重ねられませんでした。

「教授になってやるみたいな気持ちはなかったですね。なんというか、”なれない”というふうにも思っていました。教授ってやっぱりすごい存在なので。自分に自信も持てなかったですね」

自分の能力や適性面での限界を感じるというよりかは、自分の可能性に蓋をしてしまっていたと梅木さんは語ります。こうして梅木さんは、大学病院という安定した道から、別の進路を考え始めるようになるのです。

35歳、転職。分院長という立場へ

大学病院で口腔外科に勤務していた梅木さんは、35歳のとき、大きな転機を迎えます。それが現在勤務している歯科クリニックへの転職でした。もともとこの医院には、大学時代の先輩が勤務しており、そのご縁からまずは「勤務医」として働き始めることになります。

転職からおよそ1年後、その先輩が独立・開業することが決まり、梅木さんは分院(本院の支店)長という立場を任されることになりました。分院長としての責任は重く、診療だけでなく、クリニック全体の運営やスタッフとの関係づくりなど、求められる役割は一気に広がっていきます。

現在は川崎市の分院で診療を担いながら、湘南にある本院とも連携する「ナンバー2」というポジションに就いています。比較的自由度の高い環境の中で、自身の裁量を持って診療にあたる日々。ここから梅木さんは、単なる“勤務医”ではなく、より経営や人との関わりにも意識を向ける立場へと変化していくことになります。

外から見れば、順調にキャリアを積み上げ、分院長というポジションまで上り詰めた歯科医師。まさに“成功者”と呼ばれる立ち位置にいるようにも映るかもしれません。

しかし、この場所にたどり着くまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。華やかな肩書きの裏には、極限の生活や自信を失いかけた日々など、苦しい時間とも向き合っていたのです。

次回予告

分院長という立場に立ち、順調なキャリアを歩んでいるように見える梅木さん。しかし、その土台には、「自分にはできない」という長年抱え続けてきた思い込みや、苦しんできた下積み時代がありました。

次回は、大学院時代の極限に近い生活とともに、「なぜそこまで自分を追い込んでしまったのか」「なぜ自分の価値を信じられなかったのか」という“内側の課題”に迫ります。

この記事を書いた人

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