キャリアに迷い、自分の進むべき道がわからなくなったとき、私たちはつい「自分のできないところ」「自分の足りないところ」に目を向けがちです。しかし、323年続く老舗染物屋の14代目として家業を継いだ松田一晟さんの人生は、その真逆の思考法を教えてくれます。
鳥取県米子市に工房を構える松田さんは、幼い頃から家業を継ぐことを自然と意識し、その道をまっすぐに歩んできました。その根底にあるのは、先代から受け継いだ「使命と誇り」、そして父から学んだ「筋の通った教育」だったのです。
今回は、伝統という重責を背負いながらも、常に前向きな姿勢で人生と向き合い続ける松田さんの哲学を深掘りします。第1回となる本記事は、松田さんが家業を継ぐという決断に至った原点と、その後のキャリア形成に大きな影響を与えた父の教えに迫ります。
江戸時代から続く323年の歴史が育んだ14代目の現在

松田さんの家業は、江戸時代から続く筒描き染めの老舗です。323年という途方もない歴史は、松田さんにとって幼い頃から当たり前に存在するものでした。しかし、その重みをはっきりと意識する転機が、小学校4年生の時に訪れます。
それは、学校の授業で父親が「ゲストティーチャー」として招かれたときのことでした。それまで近すぎて見えなかった父の仕事が、教室という場で語られるのを聞いたとき、松田さんは初めてその仕事の奥深さと、自分が持つ特別な使命を感じました。
「長く続いている仕事だということ、そして誰にでもできる仕事ではないというところに、強く意識が向きました」と松田さんは語ります。この時、松田さんの心の中に、単なる「家業」ではなく「守るべき伝統」としての使命感が芽生えたのです。この幼い頃の体験こそが、松田さんのその後の人生を決定づける原点となりました。
小6で公言した「継承」という決意
小学校4年生で芽生えた使命感は、2年後の卒業式で確固たる決意として公言されます。卒業式の場で、一人ひとりが将来の夢を語ったとき。松田さんは全校生徒の前で「染物屋を継ぎます」と宣言しました。この決断の背景には、他の仕事を選ぶという選択肢がそもそも存在しなかったという、松田さんの信念があったのです。
「他の仕事をしようとか思うことはなかったですね。やっぱりこういう店の子として生まれたっていうのは使命だったりとか誇りっていうのがあったので」
この言葉は、キャリアに悩む私たちに大きな示唆を与えます。松田さんにとって、家業を継ぐことは「選ばされたもの」ではなく、「自ら選んだもの」でした。自分のルーツや、自分が持つ唯一無二の環境を「誇り」として受け入れ、それを自分のキャリアの核とする姿勢は、私たち一人ひとりが持つ「自分らしさ」や「強み」に向き合うきっかけを与えてくれます。
「ダメなことはダメ、良いことは良い」原点となった父の教育姿勢

松田さんのまっすぐな生き方を支えたのは、父親の教育方針です。彼は、松田さんが小学生の頃に野球の監督も務めており、厳しさと優しさを併せ持つ指導者でした。
松田さんは、父親に怒られた記憶は「ちょいちょいある」と語りますが、その内容をほとんど覚えていません。それは、父親の怒りが決して理不尽なものではなく、常に筋が通っていたため、その場で納得し、反省できたからです。
さらに、松田氏が特に印象的だと語るのは、父が「良いことはいい」と明確に褒めてくれる点です。
読者の皆さんも、褒められた経験よりも叱られた経験の方が多い方もいるのではないでしょうか?ダメなところはダメといい、良いところはわざわざ言わない。松田さんのお話を聞いていると、こういった経験をした人は「悪いところばかりに目を向ける」ようになってしまうような気がしました。
できないことではなく、「できたこと」にも当たり前目を向け、それを正しく評価する父親の姿勢は、松田さんの「できたところに目を向ける思考法」の土台を築いたのではないでしょうか。
「社会勉強」としての大阪での大学生活

家業を継ぐという決意を固めていた松田さんですが、高校卒業後はすぐに家業に入るのではなく、父親と同じく大阪の大学に進学します。これは、染物に関する専門的な知識を学ぶためではありませんでした。
父親は、松田さんが地元を離れることを強く勧めたというのです。その理由は、「視野を広げる」ことと「社会勉強」です。
家業を継ぐという明確な目標があるからこそ、一度外の世界に出て、多様な価値観に触れることの重要性を父親は知っていたのです。大阪での4年間は、松田さんに様々な友人との出会いと、地元鳥取とは異なる環境での生活という貴重な経験をもたらしました。この経験が、後に家業に戻った松田さんの視野を広げ、伝統を現代に繋ぐための新たな視点を与えていくことになります。
次回予告
幼い頃に抱いた「使命と誇り」を胸に、まっすぐなキャリアを歩み始めた松田一晟さん。その決断の裏には、家業の歴史と、厳しくも温かい父親の愛がありました。
しかし、華々しい決意とは裏腹に、家業に戻った松田さんを待っていたのは、想像を絶する壁でした。
次回は、松田さんが直面した「できない壁」、そして10年の修行を要すると言われる「筒描き染め」の技術習得に、彼がどのように挑み、いかにして「できたところに目を向ける思考法」を確立していったのかを深掘りします。


